欧州泌尿器科学会(EAU)の女性下部尿路症状ガイドラインには、腹圧性尿失禁に対する治療の一つとして「尿道バルキング療法」が記載されています。
これは尿道周囲に専用の製剤を注入し、尿道の閉鎖を補助する治療です。
しかしEAUは、そのバルキング製剤の中でもヒアルロン酸については「使用しないこと(Do not offer)」とStrong recommendationで明記しています。
理由は、ヒアルロン酸系製剤を尿道周囲へ注入した過去の治療で、局所膿瘍などの有害事象が問題となったためです。
EAUは「autologous fat and hyaluronic acid as bulking agents have a higher risk of adverse events」とし、そのエビデンスレベルは1aとされています。 (European Association of Urology)
代表的な合併症の報告があり、腹圧性尿失禁に対してdextranomer/hyaluronic acid(Dx/HA:Zuidex)を尿道周囲へ注入した後に、尿道周囲肉芽腫を形成した症例73歳女性は、尿失禁自体はいったん改善したものの、4か月後に3~4cmの無痛性腫瘤が出現しました。画像上は尿道憩室にも見える病変を認めました。Panadés A, et.al. Periurethral granuloma following injection with dextranomer/hyaluronic acid copolymer for stress urinary incontinence. Int Urogynecol J Pelvic Floor Dysfunct. 2007 Jan;18(1):95-7. doi: 10.1007/s00192-005-0049-7. Epub 2005 Dec 3. PMID: 16328113.(PubMed)
その他の報告では、Zuidex注入後にsterile abscess(無菌性膿瘍)を形成し、最終的に尿道腟瘻まで生じた症例も報告されています。 Hilton P. Urethrovaginal fistula associated with ‘sterile abscess’ formation following periurethral injection of dextranomer/hyaluronic acid co-polymer (Zuidex) for the treatment of stress urinary incontinence–a case report. BJOG. 2009 Oct;116(11):1527-30. doi: 10.1111/j.1471-0528.2009.02306.x. Epub 2009 Aug 14. PMID: 19681847.(PubMed)
ここで注意していただきたいのは、これらの報告は、現在美容医療で行われている「腟壁へのヒアルロン酸注入」と同じ治療ではないということです。
EAUが問題としているのは、あくまで腹圧性尿失禁治療として尿道周囲に使用されたヒアルロン酸系bulking agentです。
つまり、
「EAUが腟への美容的ヒアルロン酸注入を禁止している」
という意味ではありません。
しかし逆に考えると、尿失禁治療として医学的に検討されてきた尿道周囲へのヒアルロン酸系製剤でさえ、局所膿瘍などの有害事象から現在は推奨されていませんし、標準的な腹圧性尿失禁治療として確立された十分なエビデンスがありません。
今後は新しいバルキング製剤が日本でも使えるようになる可能性もありますので、尿失禁を治療する目的なら、エビデンスのあるバルキング製剤で治療する事をお勧めします。
日本橋を訪れる患者さんは、尿失禁や骨盤臓器脱に対してレーザー治療、磁気刺激療法、さらに腟へのヒアルロン酸注入を受けていましたが、尿失禁は改善していませんでした。
それだけでなく、注入されたヒアルロン酸によって腟壁が大きく膨隆し、腟口から脱出している状態になっていました。
骨盤底を専門に診療する医師の立場から見ると、非常に重要な問題があります。
治療によって尿失禁が改善しなかっただけでなく、その後に本当に必要となる標準治療を行いにくくしてしまう可能性があるからです。
腟壁に注入物が残存している状態で経腟的な手術を行う場合には、正常な組織との境界、炎症、感染などについて通常以上に慎重な判断が必要になります。おそらく多くの病院で治療を断られてしまう可能性があります。ヒアルロン酸を溶かす薬も無ければ、合併症など心配になるからです。
尿失禁の治療は、「とにかく何かを腟に注入すればよい」というものではありません。
まず尿失禁の種類と原因を正しく診断し、骨盤底筋訓練をはじめとする保存的治療、そして必要に応じて尿道スリング手術など、標準的な治療選択肢をきちんと提示したうえで患者さんと一緒に治療を選択することが大切です。
間違って欲しくない事は、
Cochrane(コクランレビュー:その治療が推奨できるレベルを判断した論文)が評価しているのは尿道周囲へのbulking therapyであって、美容医療で行われている腟壁へのヒアルロン酸注入ではないことです。
美容目的にヒアルロン酸注入を行う事は個人の選択肢です。
繰り返しになりますが、腟へのヒアルロン酸注入が問題と言っているのではなく、尿失禁治療として尿道周囲へのヒアルロン酸注入が問題となる可能性があることをお伝えるためです。




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