最近、女性の尿失禁に対して、レーザー治療、磁気刺激療法、ヒアルロン酸注入、骨盤底筋訓練、手術など、さまざまな治療を目にするようになりました。
中でも身体への負担が少なく、「切らずに治療できる」という言葉は、とても魅力的に感じると思います。
美容クリニックでもなんとかしてあげたいと言う気持ちは医師として当たり前です。
しかし、泌尿器科医として、そして骨盤底を専門に診療している立場から、ぜひ知っておいていただきたいことがあります。
尿失禁には、まず「何が原因なのか」という診断が必要です
尿失禁と一言でいっても、すべて同じ病気ではありません。
咳やくしゃみ、運動などで漏れる「腹圧性尿失禁」。
突然強い尿意が起こって間に合わなくなる「切迫性尿失禁」。
そして、その両方が存在する「混合性尿失禁」。
さらに骨盤臓器脱や排尿障害、骨盤底筋の機能異常などが関係していることもあります。
したがって、
「尿が漏れるから、とりあえず腟に何か治療をする」
という考え方ではなく、
なぜ尿が漏れているのかを診断し、その原因に対する治療を選択すること
が最も大切です。
レーザー、磁気刺激、ヒアルロン酸注入を受けても治らなかった患者さん
最近は、尿失禁や骨盤臓器脱で当院を受診された方がいらっしゃいます。
それまでに尿失禁や骨盤臓器脱を改善する目的で、
美容医療のクリニックでレーザー治療、磁気刺激療法、そして腟へのヒアルロン酸注入を受けていました。
しかし、尿失禁は改善せず、腟脱の症状も気になっておられました。
診察では骨盤底筋の動きが悪い事に加え、尿道過可動、
そして骨盤臓器脱。
腟壁にはヒアルロン酸が注入されており、ヒアルロン酸によって膨らんだ腟壁そのものが腟口から突出している状態でした。
「腟を膨らませること」と「尿失禁を治すこと」は同じではありません
ここは非常に大切なところです。
腹圧性尿失禁は、尿道を支える組織や尿道そのものの閉鎖機能などが関係して起こります。
一方、腟壁にヒアルロン酸を注入すると、注入された部分のボリュームが増えます。
大事なことは
「腟壁を厚くすること=尿道の支持機構を正常に戻すこと」
ではありません。
尿道周囲に専用の製剤を注入して尿道閉鎖を改善させる「尿道バルキング治療」と、腟壁に美容目的などでヒアルロン酸を注入することも、同じ治療ではありません。
EAU(ヨーロッパ泌尿器科学会)のガイドラインでもヒアルロン酸の尿失禁への使用は推奨していません。
少なくとも現在、腟壁へのヒアルロン酸注入を腹圧性尿失禁の標準治療として位置づけるだけの十分な医学的根拠はありません。
問題は「効かなかった」で終わらないことです
私が今回特に問題だと感じたのはここです。
もし治療を受けても尿失禁が改善しなければ、本来であれば次に、その患者さんに適した標準的な治療を検討します。
骨盤底筋リハビリテーションが適している方もいます。
腹圧性尿失禁であれば、尿道スリング手術などを検討することもあります。
ところが、腟壁に大量のヒアルロン酸が残っていると、その「次の治療」が簡単ではなくなる可能性があります。
ヒアルロン酸が残った腟に手術をするという問題
ヒアルロン酸は注入した瞬間になくなるものではありません。
腟壁内に残っていれば、腟壁の正常な解剖が分かりにくくなったり、本来の組織層が判別しにくくなったりする可能性があります。
そして、尿道スリング手術をはじめとする経腟手術では、腟粘膜を切開して手術を行うことがあります。
その場所に大量のヒアルロン酸が存在していたらどうでしょうか。
異物・注入物が存在する組織に手術操作を加える以上、炎症や感染などについて通常とは異なるリスクを考えなければなりません。
仮に術後感染が起こった場合、
「手術による感染なのか」
「以前注入されたヒアルロン酸が関係しているのか」
その判断さえ難しくなる可能性があります。
そして最終的には、後から治療を引き受けた医療機関が、そのリスクを背負うことになります。
これは患者さんにとっても大きな問題です。
「ではヒアルロン酸を溶かせばいい」と簡単にはいきません
皮膚の美容医療では、ヒアルロン酸を分解するヒアルロニダーゼが使用されることがあります。
しかし、尿失禁や骨盤臓器脱を診療している一般的な泌尿器科・婦人科で、腟に注入された美容目的のヒアルロン酸を溶解する治療を日常的に行っているわけではありません。
どの製剤が、どこに、どれだけ注入されたのか。
いつ注入されたのか。
どこまで残っているのか。
これらが分からなければ、その後の治療方針にも影響します。
つまり、
「効かなければ別の治療を受ければいい」
とは限らないのです。
前の治療が、次に本当に必要となった治療の妨げになることがあります。
尿失禁には確立された診療の順序があります
尿失禁に悩んでいる方に、今回最もお伝えしたいことです。
新しい治療や「切らない治療」が悪いわけではありません。
レーザーや磁気刺激にも、それぞれ適切な対象や役割があります。
しかし、その前に必要なのは診断です。
① どのタイプの尿失禁なのかを診断する
② 骨盤底筋や骨盤臓器脱などを評価する
③ 保存的治療を含め、標準的な治療選択肢を説明する
④ それぞれの効果・限界・リスクを理解したうえで治療を選ぶ
この順序が大切です。
特に、元に戻すことが簡単ではない治療を受ける前には、慎重に考えてほしいと思います。
腟は「狭くすればよい」臓器ではありません
腟は、単なる空間ではありません。
その前には尿道と膀胱があり、後ろには直腸があり、周囲には骨盤底筋、筋膜、神経、血管があります。
そして、それぞれが協調することで、排尿、排便、性交、骨盤臓器の支持という大切な機能を保っています。
だからこそ、
「腟を膨らませる」
「腟を狭くする」
ということだけで骨盤底の機能が良くなるとは限りません。
むしろ、その後の診断や治療を難しくしてしまう可能性もあります。
治療を受ける前に、一度立ち止まって確認してください
尿失禁に対して腟へのヒアルロン酸注入を勧められた場合には、
「私の尿失禁は何型ですか?」
「なぜヒアルロン酸で尿失禁が改善するのですか?」
「標準的な治療には何がありますか?」
「改善しなかった場合、次の治療に影響しませんか?」
「何という製剤を、どこに、何mL注入しますか?」
ぜひ確認してみてください。
十分に説明を受け、納得したうえで治療を選択することが大切です。
今回の患者さんを通じ、改めて感じました。
新しい治療を行うこと以上に、その患者さんが将来受けるかもしれない治療まで考えて治療を選択することが大切です。
尿失禁には、原因に応じた治療があります。
まず正しく診断すること。
そして、標準的な治療を含めた選択肢を知ったうえで、自分に合った治療を選んでいただきたいと思います。




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